こんにちは。 どうも俺です。
貴方は、【生か死の瞬間】を体験したことはあるだろうか?
音楽活動をするうえで、多くの人に名前を知ってもらうには各媒体に掲載するなどSNSによる発信が不可欠だが、やはり重要なのは各地でliveを公演しファンとの一体感を作り上げ、より一層バンドの良さを知ってもらいバンドの規模を大きくしていくことだと思う。バンドマンたるもの手を抜いてはいけない。
そこで各地を飛び回るのに不可欠な機材車での記憶を思い出したので書いてみようとする。
まずはこちらの記事をご覧ください。
ビジュアル系バンドメンバーが交通事故死
12日午前9時20分ごろ、滋賀県甲賀市信楽町の新名神高速道路上り線で、増田政孝さん(27)のワンボックスカーが横転し、後部座席の男性が頭を強く打ち死亡した。増田さんと同乗していた5人が頭や腰などに軽傷。
滋賀県警によると、7人はビジュアル系バンド「我羇道(がきどう)」のメンバーとスタッフで、死亡したのは東京都墨田区、山田嘉昭さん(28)。自動車運転過失致死傷の疑いもあるとみて増田さんから事情を聴いている。
県警高速隊によると、車は練馬ナンバー。増田さんと死亡した男性のほかには、埼玉、千葉、東京に住む20~30代の男女5人が同乗していた。11日は大阪市内で活動し、ライブのため名古屋市内に向かう途中だった。
県警などによると、現場は片側2車線。ほぼ直線で見通しは良いという。ワンボックスカーの周辺には、積まれていた楽器やCDなどが散乱していた。
これは我羇道(がきどう)というバンドの出来事です。
これに似たことが我がバンドでも起きていたことを思い出したので、書いてみようと思う。
地獄のliveスケジュール
私が当時21歳の頃の事だったと思う。我がバンドは徐々に名を挙げていき、自らをliveバンドだと名打っていた。その為とにかくliveの本数が多かったのである。
私は中部圏に住んでいるのだが、ツアーとかではなく完全に単発のライブin熊本とか目を疑った。
移動の都合 体の都合とか全く考えられてなくて、【東北9県連続live 9日間で制覇】は頭がおかしくなりそうだった。offが一日もなく、もうこなしているだけでliveの意味が頭から消えかけている時に問題は起きた・・・。
時間がありません。まさかの移動距離。
当時の我がバンドは、ツアーLiveとイベントLiveを絡めた、独自のスタンスを取り全国を飛び回っていた。その為気づかない内に問題が起きていた。
それはツアーファイナルin仙台でのLiveを大トリで出演し終えてから、ボロボロに疲れ切った私の耳に入った。
「な、なんて、翌日の朝には大阪に降り立たないといけないだと?・・・」
ちなみに仙台の出演は大トリなので、当時の出発時間は23時前後だったと記憶している。
そして翌日の大阪での出演時間もトリを務める為、朝一からの会場入りをしなければならないと言うことだ。 ちなみに大阪への予定到着時刻は午前9時だ。
なんてこったい!!もうすでに9時間くらいしかないじゃないやないかーいw
メンバー間の会話では、「もう、まともに寝ることすら出来ないな」「いや、それよりもお風呂すら入れないかもしれないな」•••
嘘だろ? な、嘘って言ってくれよw
当時の私は少しハードなメイクをし、髪はもうバッキバキでした。その為睡眠はどうにか出来ても、お風呂に入れないのは考えられなかった。
仙台から大阪までざっと850㎞くらいだ。100㎞走行+ツーストップで、何とか間に合うくらいかなって、メンバーと話していたが私の希望はお風呂の時間を生み出すことだった。
そして運悪くドライバーは、番手的に私なのであった。
100㎞走行?! 冗談じゃない、それじゃお風呂の時間が取れない…
そう、私はもう決意していた。猛烈マッハ走行で、走り切ると…w
体に鞭を打ち全機材を機材車に運び入れ、早々に挨拶も切り上げ、いざ大阪に向け我がバンドの機材車が走り出した。
しばらく走り東北道に乗った辺りでほとんどのメンバーがすでに眠りに着いていたが、不思議と私の目は冴えていた。おそらくお風呂の時間を作るのに全力を掛けていたからだ。
氷が張るほどではないが、冬の小雨が降っていたのを記憶している。
高速に入り時速80㎞、100㎞、120㎞と徐々に加速し安定した時に気づいた。
「誰も走ってない」「前も後ろもライトの光が全くない」・・・ちなみに知っている人も多いと思うけど、東北道って、ながーーーい直線が多いんだよね。
というわけで、やっぱりアクセル開けちゃうよね。時速は140㎞、150㎞まで上がっていった。
甘いカーブが連続していて、難なく道に沿うことが出来たので、未熟者の私は更に調子に乗ってしまった。
どんどん速度を上げ、早くお風呂に入りたい一心だ。気づいた時にはアクセルに伸びしろがないところまで踏んでいた。そう、完全にベタ踏みっぱなし。
なだらかな下りに入ると160㎞までスピードメーターが回っていた・・・w
未熟者の私はスピードメーターを振り切れた事にハシャいでしまい、隣で寝ていたメンバーを起こしたねw
そして、しばらく談笑しながら走っていると、またまた登場しました。緩やかなカーブ。
・・・しかし、事件は起きた。
カーブを曲がっている最中、左側の路肩にパトカーが停止していた。
私は余裕の速度オーバーで一瞬だが色々考えさせられた。速度を落とす方法やら、検問なのかもって、そうビビったよw
あれこれ考えてるうちに、緩やかなカーブと思っていたが、徐々に激しいカーブとなっていった。
隣に居たメンバーの「危なーい!!」の声でハッとした。
うん?・・・ハンドルが効かない。うん、滑ってる。もう分からねー。ブレーキでタイヤをガチロックはだめだ。制御出来ない。・・・・しかし素人。・・・・全力でブレーキ踏んじゃうよねw
タイヤが泣いてる音が聞こえた。
私が最後に見た景色は、高速道路の壁が徐々に迫ってきている場面だった。
そう、もう死んだと思った。何故なら速度落としたくても160㎞からの速度ダウンだからさ、間に合わねーよ。
ここからは恐らくだが、車は半回転し縁石に当たり、見事なバウンドから更に半回転。
ちょうどパトカーの後ろに到着しましたw
すぐに警官が駆け寄り大丈夫ってw?
そのままパトカーの後ろへと誘導された。しかし、運良く誰一人怪我人は居なく、警官が車両を一回りし特に問題は無いと判断され、私たちに、注意を促してからパトカーは去ってしまった。
でもさ、途中のパーキングで車両を見ると、テールランプ割れてんじゃんw 右後ろ側擦ってんじゃんw
当時はまだレンタカーでの移動だったので修理費の請求にビビってたぞw
恐る恐る何もない事を装い、レンタル車両を返却する際言われた言葉は・・・
「はい、特に異常ないですね、ありがとうございました!」
おい、社員の教育どうなってんねん?ジャパレンw
しかし貧乏バンドマンには、ありがたい! そそくさと退散し、命もお金も守られた。w
なにが言いたいかって?
命大事に。 そして調子に乗るな、未熟者。 自身の限界を知れ、知らぬなら恥を知れ。
本線に戻る(我覇道)
上記の事故に関する話だが、どうやらメンバー全員で朝まで打ち上げを楽しんでいたみたいだ。
死に関して軽率な発言をするつもりじゃないが、理解してほしい。
ある意味自業自得である。 人生舐めるな。
以上。 それ以上の話は汲み取ってもらいたい。
次回の更新を待て。
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